【イグノーベル賞】母親が食べたニンニクは、母乳の味や離乳後の食生活に影響するって本当?(原典論文を解説)
*この記事のポイント*
2025年9月18日(木)にイグ・ノーベル賞が発表された。
このイグノーベル賞とは、1991年にアメリカのハーバード大学を拠点とするユーモア科学雑誌 「Annals of Improbable Research(風変わりな研究年報)」 が創設した、ユーモラスな研究や業績に贈られる賞のことだ。そこでは、単なるおもしろさだけでなく、「まず人を笑わせ、次に考えさせる(First make people laugh, and then make them think)」 という理念があり、科学的な価値や独創性が重要視される。
過去、日本の研究では、
・尻から呼吸できるか(2024年・生理学賞)
・ワニにヘリウムガスを吸わせるとどうなるか(2020年・音響学賞)
・犬の鳴き声翻訳機の開発(2002年・平和賞)
などが受賞しており、2025年の受賞で19年連続となった。
2025年にこの賞(生物学賞)を受賞した研究は、「シマウマ牛」に関する研究であった。こちらのニュースは新聞・テレビ等で報道されたので、目にした方が多いかもしれない。
一方、2025年にこの賞(小児科賞)を受賞したのは、アメリカのペンシルベニア州に位置するモネル化学感覚研究所のJulie Mennella (ジュリー・メネラ)と Gary Beauchamp (ゲイリー・ボーシャン)の研究である。
この研究の概要について、上記記事では次のようにまとめられている。
こうしたまとめは役立つものの、結論部分のみが流布すると、学説に対して間違った印象を与える可能性がある。例えば、
・多めにニンニクを食べたほうがいい
・授乳中は匂いの強い食べ物を食べたほうがいい
・母乳の匂いが強いと赤ちゃんの好き嫌いがなくなる
といった具合に、である。
こうした安直を避けるために、私は以下で原典の論文を参照し、「人を笑わせ、次に考えさせる」この研究の内容をどのように受け止めるとよいのか、考えるための素材を提供しておこうと思う。
さて、この研究の原典は、1991年に発表された論文「Maternal diet alters the sensory qualities of human milk and the nursling's behavior」(「母親の食事は母乳の感覚特性と乳児の行動を変化させる」)である。
1. 研究の背景
原典論文の「研究の背景」にあたる箇所には次のようにある。
このように、メネラとボーシャンの研究は、乳牛に関する研究の結果(「授乳中に多様な風味を経験すると、馴染みのない食物も受け入れやすくなる傾向がある」)が、人間にも適用されるのか、を調べようとした研究であると言える。
また、この「風味移り」を研究するにあたって、ニンニクを研究材料にしたことについては次のように語られる。
2. 研究の方法
原典論文の「研究の方法」にあたる箇所には次のようにある。
このように、メネラとボーシャンの研究は、かなりの小規模調査である。研究対象となったのは8人のアメリカ人の母親である。したがって、アメリカ人全員にこの研究結果があてはまるわけではないし、日本人の母親にも同じ傾向が表れるかはわからないということである。
3. 実験内容
原典論文の「内容」にあたる箇所には次のようにある。
まず、母乳への匂い移りを判定したのは嗅覚の鋭い成人男女11名である。母親がニンニクカプセルを摂取した後、1時間おきに搾乳した母乳のうち、どの時点の母乳からニンニクの匂いがするのかを申告するのである。ちなみに、審査員による母乳の「味見」は行われなかった(感染症予防のため)。
結果、最もニンニクの匂いが強いと申告されたのは、ニンニクカプセル摂取後2~3時間が経過した後に母乳であった。*1 なお、あまり関係がないが、実験にあたって、8人の母親は香水や香り付きの石鹸、デオドラントの使用が制限されている。また、自宅ではニンニク、タマネギ、アスパラガス、ガーリックパウダー、オニオンパウダーなどを食べることが禁止されている。想像すると少しおもしろい。
次に、乳児の反応との関係が調べられた。ニンニクカプセル摂取後2~3時間が経過したころ、乳児の反応が際だったとすれば、乳児は母乳のにおいに反応しているということになるだろう。
4. 結果・考察
原典論文の「実験結果・考察」にあたる箇所には次の図がある。

これは、母親・乳児のAペア、Bペア、といった8つのペアの実験結果である。上の図は「ニンニクカプセル摂取なし」の哺乳時間を、下の図は「ニンニクカプセル摂取あり」の哺乳時間(平時比の%)を示している。
このデータを見るとわかるとおり、Fペアを除いた7つのペアで、「ニンニクカプセル摂取あり」の哺乳時間が伸びている。このようなことから、メネラとボーシャンは以下のように結論づけるのである。
以上のようなことを踏まえて、私なら妻に次のように伝えたい。
「揮発性硫黄を含むニンニクやタマネギ、ブロッコリーを食べると、子が母乳を飲む量が増えるかもしれないけれど、増えない確率の方が高いから、気にしすぎることはないよ。将来の好き嫌いに影響するかどうかもデータがないよ。それより、いつも授乳してくれてありがとう。」
以上が私が自分で作った結論である。(今週のお題「自分で作った◯◯」)
【おすすめ本】最小限のネタバレで紹介する 大江健三郎『死者の奢り』
*この記事のポイント*
『死者の奢り』の中で、「奢り」という言葉は一度も現れない。この小説における「奢り」とは、どのような奢りか。
奢りとは傲慢、慢心、相手よりも優越しているという感情である。*1
奢っているのは誰か。
「ゆうゆうとアルコオル溶液でいっぱいの水槽の中にたたずんでいる」死者たちか。確かに死者たちは、生者に優越し、その手を煩わせる。現実でもそれは同じである。死者の世話をやき、「生きている間に何がしたかったのか」、つとめて想像しようとするのはいつも生者たちである。死者たちはそういう努力はしない。
だが死者たちの声に傲慢さはない。
死者たちの声は主人公によって聴き取られる。*2 物語を通して死者に同化していく主人公は、死者と生者の境界を意図的に曖昧化するための小説的な装置である。彼が死者に同化し、声を聴き取るできるのは、彼自身の本質が死者だからである。
主人公の聴き取りによれば、死者たちは「俺たちは評価したり判断したりする資格をもっている」と言っている。そこで彼らは自分の権利を守ろうとはしても、他者に優越しようとする傲慢さを示してはいない。
もっとも、主人公の本質は死者であるが、彼は特異な人間ではない。
作中で女子学生は「(死者も私のお腹の中の胎児も)両方とも人間にちがいないけれど、意識と肉体の混合ではないでしょ? 人間ではあるけれど、肉と骨の結びつきにすぎない。」と言う。
多くの人も同じように考えるかもしれない。生者は自分の意志で動くことができる。死者や胎児に自分の意志はない。だが人間の意志や意識は不安定なものである。大人が独立した自意識のもと決断を下しているとするのは虚構である。成熟した大人も、自らの身体や周囲の社会的状況に影響されて行為する(胎児が母親の胎内環境に、死者が水槽の薬液に影響されるのと同じように)。
大人が手を動かす、胎児が手を動かす、死者が手を動かす。これらの動きの間にちがいはない。いずれの動きの背後に意識をみることは可能であり、いずれの動きの背後から意識の存在を否認することも可能である。女子学生は、自分が本質的に死者であることを忘れ、生者の意識を特権化し、死者たち(と胎児)を差別している。
私たちは、女子学生と同様、社会という水槽に浮かび、意識という「厚い粘膜質のバリア」を張り巡らせている。私たちの生きざまは死者たちのそれと変わりない。にもかかわらず、私たちは、似たような境遇にある死者たちに差別のまなざしを向ける。とすれば、傲慢なのは私たちである。
ただ、その傲慢さを引き受けた上で、それでも確固たる意志をもつ生者として自らの実存を切り拓くこと、大江はその可能性を残してくれる。その意味で、この「死者の奢り」は、大江健三郎版の『嘔吐』(サルトル)なのである。